今週の説教

 

 

先週礼拝(8/13)説教片々

   

  「主よ、お話しください」    

      イザヤ書43章1節、ヨハネ福音書3章20節

竹内 拓神学生

 私たちが神様にいろいろお願いをし、祈り求めても、それが聞き入れられない時は、ともすれば神様が見えなくなり、嘆きや不満につながることがあります。それは、神様と私たち人間との関係を、神様は助け主、私たちはその対象と決めつけているからではないでしょうか。神様は私たちを単なる助けの対象として造られたのではないのです。

神様は「あなたはわたしのもの」(イザヤ43:1)と言われています。その意味は、私たちは神様にとって他人ではなく神様の家族であるということであり、家族の一員として神様がなそうとしておられる業に参加する者となることが求められているということなのです。私たち一人ひとりは正にそのために造られたのだと思います。

このことを自覚し認識すると、神様のなさること、お話になることの意味がこれまでと全く異なって受け止められるようになります。引用した「二人の王子の物語」によっても明らかなように、神様が私たちの求めに対し応答を遅らせておられるのは、私たちが神様にもっと近づき、神様の真意を聞きに来てほしいと願っておられるからなのです。遠慮なく「主よ、お話しください」と叫びつつ神様にもっと近づいていきましょう。

そして、万一そのような気力をなくした場合においても、神様の方からこちらに近づいて来て、一緒に食事をしながら真意を明らかにしてくださいます。(黙示3:22)このような神様の深い愛とご配慮に感謝しつつ、歩みを続けたいと思います。

 

  今月の言葉(8月)

 見えないものを見る    

コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章18節

私たちの聖書には“神”によるこの世の創造から始まり、その後のイスラエル民族の2千年におよぶ歴史にひたすら添い続け、見えないが確かに存在する“神”が記述されています。旧約聖書では、そこに働く“神”の摂理を深く味わい知る事ができます。ここにその一つを紹介します。それは、モーセがカナン(神が与えるとした約束の地)を目前にした、長い彷徨の末のイスラエル民族に言う“神の言葉”です。「主はあなたの手の業をすべて祝福し、この広大な荒野の旅路を守り、この40年の間あなたの神、主はあなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった」と。(申命記2:7)このみ言葉は私たちに生きて働かれる神の存在を確信させてくれるものではないでしょうか。 さて、聖書は“見えないサタン(神と敵対する者)”の存在も記述しています。アダムを誘惑する蛇。人の歴史はサタンとの闘いで始まりました。サタンは私たちの弱さのスキを狙っています。主イエスの罪の贖いの十字架と復活により、私たちはすでに死(サタン)の支配から解放されていますが、この世の多くの誘惑の中にあって、私たちは弱さ(罪)を無くすことができません。どうしたら堅く立つことができるでしょうか…。信仰によって「あなたの罪は許された」と言っていただいていることを信じ、わが身の弱さをしっかり見つめ、乗り越えて行くことではないでしょうか。神はモーセの後を引き継いだヨシュアを励まして言われました。「私が共にいる。強く雄々しくあれ」と。(ヨシュア記1) 主は、私たちに今もこのように語りかけておられるのです。      夕拝(7/30)説教から 田口玲子