今週の説教

 

 

先週礼拝(1/14)説教片々    

   

  「すべてのものは言によって」    

 

          ヨハネ福音書1章1~5節

 

 ヨハネ福音書のねらいは、イエスのこの世での姿を伝えることより、「イエスは神の子、メシアである」と宣言する神学的な面が非常に強いのです。ここが他の福音書と違うところです。ヨハネ福音書は、「初めに言があった」で始まります。このときヨハネの頭の中にあったのは、創世記の最初の言葉です。「初めに神は天地を創造された」。両方とも「初めに」で始まっています。創世記1章は、バビロン捕囚の時代、祖国を失い敵国へ引かれて行った祭司達によって書かれました。ヨハネが生きた時代も、ローマ皇帝によるキリスト教迫害の激しい時代でした。

 人々は様々な試練に合う時、ある人は偶像を造り、ある人は占いに頼りその恐るべき力から逃げようとし、ある人は文明や科学の力によってそれを乗り越えようとします。しかし「唯一の神」を信じる者は、「初め」に帰るのです。それも神が天地を創造されたすべての初めに帰るのです。「初めに言があった]、神が「光あり」と言われた瞬間に混沌と闇の世界に光が出現します。そしてこの光によって世界が新しく生まれ変わります。今ヨハネは迫害されている仲間達に、「今このことが私達に起こった。私達のかかえる暗闇に向かって、「神が光あれと言われた」と宣言するのです。その神から来た光こそみ子イエス・キリストです。いやイエス・キリスト自身が、「神の言」であると言うのです。なぜならこの方によって世界が新しく生まれ変わったからです。

 

 

  今月の言葉(1月)

「主があなた方のために戦われる」

(出エジプト14章13~14)

 

 神はエジプトを脱出したイスラエルの民をわざわざ回り道させ葦の海に沿う荒野へ導かれました。この回り道は、戦いに弱いイスラエルに対する神の配慮でした。神の回り道こそ、神の近道なのです。私たちは人生の中で、しばしばこのようなことを経験しないでしょうか。その出来事に遭遇した時は、こんなことなければいいのにと思った事が、実は自分の人生になくてはならない事であったと後で気付かされるのです。勿論この回り道は何の苦労もない平坦な道ではありません。そこには葦の海という難関がありました。彼らは後ろから追いかけて来るエジプト軍を背に、目の前の葦の海を見て呆然とするのです。彼らは今、水のあることで苦しみます。しかし荒野の旅では水のないことに苦しみます。水のある事も困難、水のないことも困難。とすれば大切なことは、水ではなく水をふさわしい時に備えて下さる神への信頼です。

 今モーセは、目の前の海を見て呆然とする民に向かって、「恐れてはならない。落ち着いて今日、あなた達のために行われる主の救いを見なさい。主があなた達の為に戦われる。あなた達は静かにしていなさい」と言うのです。モーセはこの先どうなるのかと不安で心騒がせる民に対して、今は静かにして神が力強く進めて下さる戦いに信頼するよう勧めます。神は最悪を最善に変えて下さるお方です。信仰とは、このお方に従って黙って進む事なのです。       (山田恵子 牧師)