今週の説教

 

 

先週礼拝(10/8)説教片々

   

  「生きるも死ぬも主のため」    

      ローマの信徒への手紙14章1~12節

 教会には様々な人がおり、食べ物一つ取っても考え方が違います。当時異邦人教会の中には、偶像に供えられた肉でも平気で食べる「信仰の強い人」と、律法で禁じられた肉は食べられない「信仰の弱い人」がいました。パウロは自身も、「偶像は自分が信じなければ存在しない。万物は神によって創られたのだから何を食べても身に汚れは受けない」と言って、どんな肉でも食べました。しかし教会の中で両者の対立が生まれていることを知ったパウロは、「信仰の強い人は、信仰の弱い人を受け入れなさい。批判してはなりません。信仰生活は各自が自分の心の確信に基づいて決めることです」と忠告したのです。

 パウロが教会の中で一番大切にしたことは「心を一つにし、思いを一つにして固く結び合いなさい」です。ただしこれは皆同じ考え方で「一つになれ」ではありません。教会で大切なことは食べ物ではありません。教会は、「主イエスを信じる」この一点で一つになるのです。その時「私達は生きるにしても、死ぬにしても主のものです」と皆で言える教会となるのです。

 主は「私のため」に十字架で死んで下さいました。しかし同時に、私の隣にいる「兄弟のため」にも死んで下さったのです。ゆえに私達はいつも「兄弟のため」に生きる者とされています。「私のため」と「兄弟のため」、この二つはいつも一つに結びついています。私達がこれを大切に生きる時、教会の外の人が見て、「ここには神がおられる」と認める所となるのです。

 

  今月の言葉(10月)

 「あなた方の中で苦しんでいる人は祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌を歌いなさい」

(ヤコブ5章13節)

  私達の人生には、苦しみや喜びがつきものです。ただ多くの人々は、それを自分一人の出来事だと考えがちです。しかし信仰においては、苦しみも喜びも常に神とつながっているのです。信仰者はどんな時でも、神を仰ぎます。苦しむ時には祈り、喜びの時には賛美を歌うのです。

「主に結ばれているならば、自分達の苦労が決して無駄にはならないことを私達は知っているからです」(コリントⅠ 15章58節)。私達の神は人間の力ではどうすることも出来ない死でさえ、新しい生命に変えて下さる力の主です。そのことを私達は、イエス・キリストの復活を通して知るのです。この主と結ばれて、この方の中に力の泉があることを発見し、その水を戴くのです。神はこの力の水・聖霊を、望む者には誰にでもくださいます。その時私達は、この世で味わう様々な苦労も、そして死でさえ無駄ではないと心から言うことができるのです。  

 私達は喜びにおいても、神と結びつくことをやめません。喜びもまた神からの賜物であることを知って、その源である神をほめたたえるのです。このように喜びにおいて賛美を献げ、苦しみにおいて祈る時、私達はこの世にあって決して動かされない者とされるのです。 (山田恵子牧師)